なぜ高級車、高級時計、広い家が欲しくなるのか

2018年7月25日

高級品が欲しくなる理由

私は「芸能人ファッションチェック」が嫌いです

テレビでよく、「芸能人のファッションチェック」や
「芸能人お宅訪問」などというコーナーをやっていますよね。
10万円の帽子、100万円の服、1000万円の指輪・・・
外国製で使いやすそうには見えないけど高いキッチン、
無駄に高そうな装飾品などなど。
芸能界で成功している人たちなので、
お金はたくさん持っていることはわかりますが、
そんなに高級品を身に着けたいもんかな~って思います。

もちろん、こういうコーナーを単に「へ~、すごいな~!」って思って、
みている方もいらっしゃるとは思いますが、
私をはじめ、少なくない方が、「成功を自慢してウザい」って
思ってるのではないでしょうか。
100万円の服って、1万円の服に比べて100倍温かいわけでもないでしょうし、
100倍長持ちするわけでもないでしょうし、
100倍デザインがかっこいいというわけでもないでしょう。

超高級品でなくても、買っている「不必要に」高価なモノ

なのになんでそんな高いものを欲しがるのかわからない・・・なんて思いますが、
自分のことを考えてみると、自分の収入の中で、
色々と不必要に高いものを買ってしまっていることあることに気づきます。
10万円の腕時計、それほど頻繁には乗らない150万円の新車、
めったに着ないのに買った7万円のスーツ。
確かにたいした額ではないかもしれませんが、
中古の商品や激安のものではなく、金額から考えて、
「自分の収入にふさわしい」モノを買っていることがあります。

なぜ、金額から考えてモノを買ってしまうのか

もし、人間が完全に合理的な生き物であれば、
生活に必要な機能をもつ商品にお金を出すことはあっても、
「自分の収入(資産)ならこのくらいの金額のものがふさわしい」
なんて思うはずありません。
「お前も社会人になったんだからこのくらいの値段の腕時計くらいつけろよ」
なんていう発言に、なんとなく納得させられてしまうはずがないのです。
なのになぜ、「金額から考えて自分に妥当だから」などという理由で
物を買ってしまうのでしょうか。

不必要なものを持つということ

クジャクの尾はなぜあんなに不必要に長いのか

ちょっと話題が飛びます。

動物園などでよく目にするクジャク。
オスのクジャクは生存には全く役に立たない異様に長い尾を持っています。
それを広げ、メスにアピールするそうです。

さて、ではなぜクジャクのオスはこのように異様に長い尾を持つようになったのでしょうか。
それに対するよくある答えは、「長い尾をもつオスにメスが惹かれるから」というものです。
でも、私に言わせればその答えでは不十分です。
なぜなら、これほどまでに長い尾を持つオスは、生存には不利です。
捕食者も多くいる場所で暮らすクジャクにとって、
必要以上に長い尾は邪魔以外の何物でもありません。
メスからみると、そんなオスの遺伝子を受けついだ子供を作ると、
せっかく自分の遺伝子を受け継ぐ子供なのに、
生存に不利になってしまいます。
そんな不利な条件を持つオスに惹かれるメスはおそらく長いクジャクの歴史のうちに淘汰され、
現代まで生き残っている可能性は非常に低いはずです。
なので単純な「メスが惹かれるから尾が長くなった」という答えでは不十分なのです。

不利な条件を持っていても生き残れるという証

「長い尾は、無駄に長い尾という不利な条件を持っていても生き残れる強い個体であるという証である」というのが正解です。
単に「長い尾にメスが惹かれるから」というのとはちょっと違います。
もちろん最初は「たまたま長い尾に惹かれたメスがいた」
というレベルで始まったかもしれません。
当初、尾の長さが生き残りにはほとんど影響しない範囲だったときには、
純粋に尾が長いだけのオスが多くのメスを獲得していたかもしれません。
しかし、尾の長さが生存に影響を及ぼす程度まで長くなると、
尾が長すぎるためにメスに出会う前に命を落とす個体が多くなります。
そうなると、尾の長さは「生存能力の高さ」を示すものへと変わっていきます。
「長ければ長いほど不利になるにもかかわらず、生き残っているということは、
他の能力が優れているという証」というわけです。

もちろん、この時点で尾の長いオスを選ぶメスは
こんなことを意識して選んでいるわけではありません。
しかし、尾の長いオスを選ぶメスのほうが強い遺伝子を受け継いで子孫が生き残りやすくなり、
よりその嗜好が強化され、オスの尾も伸び続けるということになります。

人間も生物である

話題を人間に戻しましょう。

人間もサルから進化してきた生物です。
「より子孫を残しやすい性質」ほど、現代に残っている可能性が高いと言えるでしょう。
つまり逆に言うと「現代の人間が持っている性質は子孫を残すのに役に立ってきたから残っている」といえます。

※このあたりの議論は詳しくは⇒生物はDNAの乗り物である!?
他の人よりも値段の高いものが欲しくなってしまったり、
収入から考えて買えるギリギリの高額商品を買ってしまったり、
他人が持っている高級品に「ウゼ~」と思ったりするような
心理も例外ではありません。

高級品を買うことが、子孫を多く残すのに役に立つ?!

人間が人間になってから大半の時間は狩猟採集をして生活をしてきました。
そのため、現代人もその時代に有利だった性質を受けついでいます。
高級品を買いたくなる心理もその時代に培われたものでしょう。

狩猟採集の時代、人間は小集団で生活していました。
夫婦構成は、一夫一婦制であったとする説が有力ですが、
性行為は集団内である程度乱交状態にあったとする説が有力です。

集団内では相互扶助が徹底されており、
子どもの養育も集団全体で行われていました。
妻が生んだ子供を夫が全面的に養育するというわけではありません。
そうなると、夫は妻の貞操をそれほど厳密に管理する必要がありません。
(他人の子供を高いコストをかけて育てさせられるという心配がない。)
夫婦の貞操は絶対的なものではなく、
現代人の文化から考えるとかなり緩いものだったと考えられています。

そのような環境では、より強い個体であるということをアピールできる男性が
多くの女性と性的関係を結び、多くの子供を残したと考えられます。
つまり、クジャクと同じです!
アピールの方法が尾ではなく人間特有のモノであるというだけの違いです。

人間の「強い個体であるという証」は?

人間ではそのアピールとは例えば、
「狩りで獲物を多く捕まえる」であるとか、
「集団内で皆に尊敬されている」などです。
また、「他の人より珍しい(価値のある)モノを身に着けている」ということも、
「生存に関係ないものを集めたり保有したりする余裕がある」という意味になります。
これらの外見(地位、モノ)を持っている男性ほど、
より生存に有利な遺伝子を持っている可能性が高く、
子供を残す価値があると認められるわけです。
「高級品(珍しいもの)が欲しい」と思う個体ほど、女性から見ると
「高級品(珍しいもの)を持つ余裕があるほど個体の能力が高い」と見えるわけです。

女性の立場は少し違いますが、基本的には同様です。
「美しい(健康である)」とか、
「きれいな服を着ている(そのようなことに時間をかける余裕があるほど能力が高い)」、
「きれいな広い家に住んでいる(そのような家を維持管理する能力がある)」などです。
※これについては詳しくは別の記事「男の幸福と女の幸福の違いとは?」にて。

もちろん、男性、女性が「異性を捕まえるためにそういうアピールをしよう」と意識して
実行するわけではありません。
意識せずに「高級品を買うと幸せ」とか、「美しくなりたい」という
感覚を身に着けている個体が子孫を残しやすかっただけです。

なので、「100万円もする腕時計を買うのはモテたいからだ!」という指摘は少し違います。
おそらく本人は意識していません。
ただ、単純に「他人より高級なものを持ちたい!」という本能に突き動かされて、
高級なものを買い、その結果、たまたま「モテる」というのが正解です。
もちろん、モテるために計算ずくで高級腕時計を買う人もいますけどね。

こう考えると女性が、「ファッションは男性を意識しているわけではない」というのも納得できますよね。
あくまでも「男性を獲得するためにきれいにしている」わけではなく、
「きれいになりたい」という感覚を持つ女性ほど子孫を残しやすかったため、
現代に生き残っている女性は、本当に単に「きれいになりたい」と皆が思っているだけです。

クジャクも、「モテたいから尾を長くしよう」とは考えていないでしょう。

高級品は人を幸せにしてくれるか

高級品を欲するような個体ほど子孫を多く残したため、現代の人間は大抵の人が、
高級品が欲しいと思うわけです。

さて、話はこれで終わりません。
現代ではこの「高級志向」が人をあまり幸福にしてくれないことはかなりわかってきています。
それは、人間が多くの時間を過ごしてきた狩猟採集生活の時代と、
現代とでは社会の構造があまりに違い過ぎるからです。
本能に従っているだけではこの複雑な現代社会では幸せになれません。

高級品は「人と比較して」欲しくなる

ここまで、「高級品」という曖昧な言葉で説明してきましたが、
これは人によって指すものは全然違うでしょう。
お金持ちの人にとっては100万円の時計など、ただの日用品に過ぎないでしょうし、
生活がかつかつな人にとっては10万円の時計ですら高級品でしょう。

また例えば、ある人が100万円の時計を持っていたとしましょう。
この人が10万円の腕時計をしているグループの中にいたら、その本能は満足するかもしれませんが、
1000万円の腕時計をするグループの中では、劣等感しか得られないでしょう。

つまり、「高級品が欲しい」という本能は、「人と比較して」という感覚です。

高級車にしても、高級住宅にしても同じです。
だとすると、いくらお金をつぎ込んでも上には上がいるわけですので、
満足度はそれほど高まりません。
※このあたりの議論は書籍「幸せとお金の経済学」に詳しく書いてありますので、ご参照を。

つまり、つぎ込むコストの割には自分を幸せにはしてくれない本能なわけです。

高級品を買って、幸福になるのは難しい

もちろん高級品を買えば買うほど本能が満たされて、幸福度は上がるでしょう。
特に、所得の低い層ではつぎ込んだお金に比例して幸福は増大すると思います。
ところが、所得が中間層くらいまでくると、つぎ込んだお金に対して増える幸福の量は激減していきます。
もちろん、いくらでも無駄に使えるお金があるならそれでもいいかもしれません。

しかし、高級品にお金をつぎ込むために休日を返上して忙しく働いたり、
働き過ぎて健康を失ったりするのは、幸福が増えているとは言い難いですよね。
本末転倒だとすら言えそうです。

「収入から考えてこれくらいは買ってもいい」や、
「周りの人はこれくらいのモノはみんな持っている」という考え方ではなく、
「このような機能や性能が必要だから、これを買おう」とか、
「お金では買えない幸せを大切にしよう」という考えでモノを買うようにし、
余ったお金は他人と比較する必要がないモノ(例えば余暇(時間)とか健康とか)に使用するようにすると、
同じ仕事で同じ給料をもらっていても、以前より幸せになれるかもしれませんよ。